地方自治体の観光ポスター

1970年(昭和45年)は「わが国の観光旅行の転換期」と言われています。 

この時から国民の旅行総量の増加、団体旅行から個人旅行・鉄道から自動車へのシフトが始まりました。そのきっかけをつくったのは1970年に大阪で開催された万国博覧会でした。 3月~9月までの会期中に6400万人が来場し、国民の大移動に伴い旧国鉄(現:JR)は、乗客数対前年比45%増となり、思いがけない利潤を得ました。


国鉄は万博終了後の旅客確保対策のため、自ら移動の需要を作り出そうと同年10月より個人旅行拡大キャンペーン「ディスカバ-・ジャパン」を展開しました。 「日本を発見し、自分自身を再発見する」が基本テーマで、キャンペーンと同時に国鉄提供によるテレビ番組「遠くへ行きたい」が始まり、国民の旅行へのあこがれをさそいました。 

またその頃、女性週刊誌「an・an」や「non- no」が相次いで創刊され、両誌はこぞって若い女性向けの国内旅行を特集し、各地の小京都、倉敷や萩などのシックな街並み、中山道の静かな宿場の妻籠宿・馬籠宿に、「アンノン族」が大勢訪れる結果になりました。


従来の観光キャンペーンはある特定の観光地を対象とし、旅行者を一点へ向かわせるものでしたが、「ディスカバー・ジャパン」は対象地を特定せず、全国津々浦々を対象とすることで、国民の総旅行需要を喚起しようとしました。それは観光地以外の場所にも観光客がやってくる状況を生む事になりました。その様な社会的背景の中、地方の町や村でも"わがふるさと"を外に向けてPRする気運が高まってきました。

増毛町は近隣の他の市町村にさきがけ、陸の孤島であった秘境 雄冬や夏の海水浴場、エビ・果樹などの特産品を使い、積極的にポスターによるイメージ戦略を進めました。


初期に作られた物から現在に至るまでの増毛町の観光ポスターと、増毛町を含むオロロンライン(小樽と稚内を結ぶ広域観光ルート)の観光ポスターもあわせてご覧ください。